福祉行政の貧困
日本では「寝たきり老人」の姿といえば、曲がったままの手足、鼻から胃にさしこまれた管、ぼうこうに入れられた管、まるで物言わぬ人形のように、管理されつつ死を待っているといったイメージです。
それは非人間的な被保護の姿です。
・・・よく考えてみれば、管も手を省くために入れているのであり、けっして老人のためではないでしょう。
この保護は自立生活への諦めと施設サービスへの屈辱的な依存によって成り立っています。
口しか動かない人でも電動車いすで動き回われる、口が不自由な人は体で意志を表せる。
体を起こし時間をかけて手伝えば管を使わなくとも食事はとれる。
管を入れて尿を採るのは最後の最後のはずです。
体が不自由になってもまちなかに出、買い物をしたい、デイセンターで趣味や出会いを楽しみたいというのは当たり前の欲求です。
そうした欲求を充たすことができず、「水平の人」となって人生の最期を送らざるをえないのは、やはり福祉行政の貧困といわなければならないでしょう。